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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)11323号 判決 1967年1月24日

原告 鈴木銀蔵

右訴訟代理人弁護士 金原政太郎

被告 鑓溝松男

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 浜田源治郎

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

(1)  請求の趣旨(原告の申立)

一、被告鑓溝松男は原告に対して、(イ)別紙物件目録第一に記載の土地を、同目録第二に記載の家屋を収去して、明け渡し、(ロ)昭和二七年一二月一日から右土地明渡済にいたるまで一ヵ月金二万五、二一〇円の割合による金員を支払え。

二、被告前田無線株式会社は原告に対して、前記土地を、前記家屋より退去して、明け渡せ。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

の判決ならびに仮執行の宣言。

(2)  被告らの申立

主文同旨の判決。

第二主張と答弁

(1)  請求の原因(原告の主張)

一、別紙物件目録第一に記載の土地(以下「本件土地」という)は、昭和二八年四月二七日までは東京都台東区仲御徒町七番地(その表示が昭和三九年一〇月一日より同都同区上野六丁目七番と改称された)、宅地四七坪五合九勺の一部であったが、同二八年四月二八日付の申請により右宅地が、(イ)同所同番地の一、宅地二三坪七合九勺すなわち本件土地と、(ロ)同所同番地の二、宅地二三坪八合の二筆に分割登記された。右分割前の宅地はもと訴外石原万助の所有に属していたところ、同訴外人は昭和二〇年五月一六日戦死、同二一年一二月二三日公告、戸籍記載となり、そのため右万助の長男石原延郎(昭和一一年九月一五日生)が家督相続により右宅地の所有権を取得したが、その当時延郎が未成年であったため、母の石原よし子が延郎の単独親権者となった。しかして、原告は昭和二四年八月二四日前記宅地四七坪五合九勺をその所有者石原延郎より、その法定代理人親権者石原よし子を介して買い受けて所有権を取得し、同二八年六月三〇日本件土地につき原告のため所有権移転登記を経由し以後今日にいたっている。

二、(イ) 被告鑓溝松男は、原告が右のようにして本件土地の所有権を取得する以前より、該土地のうえに別紙物件目録第二に記載の家屋(以下「本件家屋」という)を所有し、また被告前田無線株式会社(以下「被告会社」という)は右家屋を使用することにより本件土地を共同で占有し、現在におよんでいる。(ロ)しかしながら、被告両者とも本件土地の所有者たる原告に対抗しうる何らの権原をも有しておらず、故意または過失により原告の右土地に対する使用収益を妨げている。

三、よって、原告は本件土地の所有権にもとづき、(1)被告鑓溝に対して、本件家屋を収去したうえ本件土地を明け渡すこと、および原告が右土地を取得した後の昭和二七年一二月一日から右土地明渡済にいたるまで別紙計算表に記載の割合による地代相当額一ヵ月金二万五、二一〇円の割合による損害金の支払を求め、また(2)被告会社に対して、本件家屋より退去したうえ本件土地の引渡を求めるため、本訴におよんだ。

(2)  請求の原因に対する答弁

一、請求の原因第一項のうち、原告が本件土地の所有権を取得したのが主張の時期であることを争うが、その余の事実は認める。原告が右土地の所有権を取得したのは、昭和二五年三月三一日のことである。

二、同第二項のうち、(イ)の事実および(ロ)の事実中、原告が本件土地の所有者であることは認めるが、その余は否認する。

三、同第三項のうち、本件土地の地代相当額が別紙計算表に記載のとおりであることは否認し、その余は争う。

(3)  抗弁(被告らの主張)

一、訴外前田正は昭和二一年八月一日頃本件土地所有の代理人である訴外鈴木為吉より、右土地を賃料一ヵ月金二〇円九五銭、普通建物所有の目的、賃貸借期間は満三〇年間の約定で賃借した。右訴外為吉は右土地をその所有者より他に賃貸する権限を与えられていたものである。

仮に右鈴木為吉に本件土地を適法に賃貸する代理権がなく、右契約の締結が権限外の行為であり、しかもそれが地主本人の死亡により代理権が消滅していたとしても、右為吉は戦前より地主石原万助方の番頭として同人方の地所を管理する代理権を与えられており、しかも右石原万助が戦死したことを知らなかったのであるから、第三者たる訴外前田において、右為吉と契約締結当時、同人に適法な代理権限があると信ずべき正当な理由があり、また代理権の消滅を知らなかったことにつき善意にして無過失であったから、民法一一〇条、一一二条にいわゆる表見代理の法理により、右賃貸借契約は訴外前田正と土地所有者との間適法に成立していたのである。

二、右訴外前田正は本件土地を賃借後の昭和二一年九月頃その地上に木造トタン葺平家建店舗兼住宅一棟、建坪一二坪を建築し、さらに同年一一月頃階下に三坪を増築した。しかるに、右訴外前田正は昭和二二年五月八日死亡したため訴外前田純江、同前田和男の両者が右建物の所有権を相続により取得するとともに、右賃借人たる地位を承継し、かつ昭和二二年六月二八日右建物をいったん亡前田正名義の所有権保存登記を経由した。

しかして、被告鑓溝は昭和二二年一一月二七日右相続人両名より右建物を買受け、即日その旨の所有権移転登記を経由するとともに右賃借権の譲渡を受け、かつその頃前記賃貸人の代理人鈴木為吉より右譲渡につき承諾を受けた。さらに被告鑓溝は昭和二五年九月頃に右建物を増築して現況のごとき本件家屋となし、同三二年一二月二一日その旨の増築変更登記を経由した。

三、右のように被告鑓溝は昭和二二年一一月二七日本件土地についての賃借権の譲渡を受け、賃貸人の代理人の承諾を受けており、しかもその地上に右同日付所有権取得登記のある本件家屋を有するのであるから、その後に本件土地の所有権を取得した原告に対し右賃借権をもって対抗することができる。

また被告会社は被告鑓溝よりその所有にかかる本件建物を店舗として使用するため賃借しており、したがって被告鑓溝の本件土地についての使用権限が原告に対抗しうる限り、被告会社の本件建物およびその敷地たる右土地の占有も原告に対抗することができるのであって、不法占有者ではない。

四、よって、原告の被告両名に対する本訴請求はすべて失当である。

(4)  抗弁に対する答弁

一、抗弁事実はすべて否認する。

二、本件土地を含む前記宅地四七坪五合九勺はもと訴外野中キク(通称、俾佐、原告の母のいとこ)が地主石原万助より賃借しており、右宅地上に家屋を建築所有していたが、戦災により焼失した。しかして、原告は昭和二一年二月二六日右訴外野中より前記宅地についての賃借権の譲渡を受け、同日右譲渡につき地主石原延郎の法定代理人石原よし子の承諾を受け、以後右宅地の所有権を取得するまで賃料を支払ってきたのであり、訴外前田正ないし被告鑓溝が本件土地につき賃借権を取得した事実はない。

三、被告らが本件土地所有者の代理人であったという訴外鈴木為吉は単に地代取立等の事務を担当する管理人にすぎず、本件土地の賃貸および賃借権譲渡についての承諾を与えるごとき権原を有したものではない。

第三証拠関係 ≪省略≫

理由

一、請求の原因第一項のうち、原告が本件土地の所有権を取得したのが昭和二四年八月二四日である点を除き、その余の事実は当事者間に争いがない。ところで、売買を原因とする不動産所有権の移転時期については、当事者間に特段の合意があるときにはそれにしたがい、もしそれが存在しない場合には代金完済もしくは移転登記のいずれかが行われたときと解すべきところ、本件において原告が右土地を買い受けるにあたり、売主たる訴外石原延郎との間で、その所有権移転時期に関して特段の合意の存在した事実を認めうる証拠がなく、≪証拠省略≫によれば、原告が本件土地およびこれに隣接する土地の買受代金を売主に完済したのが、昭和二五年八月二六日であることが認められる。したがって、原告が本件土地の所有権を取得した時期は、右代金完済の日であると推認すべきである。

また請求の原因第二項のうち、(イ)の事実はすべて当事者間に争いがない。

二、そこで、つぎに被告らの抗弁について検討する。

(1)  ≪証拠省略≫を総合すると、訴外前田正は昭和一〇年頃から本件土地のうえに存在する家屋の一部を訴外野中友三郎より賃借し、該家屋を営業所としてラジオ、無線の部品の卸売を業としていたが、右土地および隣接地は訴外石原万助の所有であり、同人より右訴外野中が賃借し、その地上に家屋を建築し自己において一部を使用するとともに、その一部を右訴外正に賃貸していたものであること、訴外正は昭和一九年八月頃応召出征し、その営業を妻竹らが守っていたが、同二〇年春の大空襲で右家屋が罹災焼失してしまったこと、ところで訴外正は昭和二一年五月頃復員し、戦前より同訴外人に雇われほぼ同じ時期に復員してきた被告鑓溝らを使用して戦災前と同じ営業を始めたいと考え、復員後間もない頃、世田谷区方面に疎開していた旧家主野中友三郎(故人)の妻訴外野中キク方を訪れ、同訴外人に対し本件土地のうえに家屋を再建し再びこれを賃貸して貰いたいと願ったが、訴外キクはすでにかなりの老年でもあり、家屋再建の意思がないと述べるので、訴外正においてそれでは右戦災跡に自分で家屋を建てたいから、右敷地部分すなわち本件土地についての賃借権を放棄するよう求めたところ、訴外キクがこれを承諾したこと、訴外正はその後間もなく本件土地の所有者と考えられていた訴外石原万助(その権利関係は後述する)の土地管理人と称する訴外鈴木為吉の許に赴き、以上の経過を述べ本件土地を改めて自分が賃借したいと交渉したところ、結局訴外為吉もこれを諒承し、昭和二一年八月一日頃訴外正は右石原万助管理人鈴木為吉より本件土地を地代は一ヵ月二〇円九五銭、賃借の始期は翌二日より、普通建物所有の目的で賃借し、以後右訴外為吉に約定の賃料を支払ってきたことが認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は前示各証拠に対比するときはこれをたやすく措信できず、他に以上の認定を動かすに足る証拠はない。

(2)  そこで、右訴外鈴木為吉が本件土地をその所有者に代理して訴外前田正に賃貸する権限を有していたか否かにつき判断するに、右訴外為吉が本件土地の所有者たる訴外石原万助のため同人所有地の地代取立等の事務を担当する管理人たる地位にあったことは原告の自認するところであり、また≪証拠省略≫によると、訴外万助はその妻よし子が病身であったため、その出征にあたり自己所有地の管理を訴外為吉に委任し、該管理に必要な代理権を与えていたことが認められるが、同訴外人が前示のごとき権限を有していたことを認めるに足る証拠がない。したがって、訴外為吉が右代理権を有したことを前提とする被告らの主張は失当というほかはない。

よって進んで被告らの仮定的主張を審究するに、≪証拠省略≫を総合すると、訴外為吉は戦前より石原家の番頭として、とくに都内日本橋芝町二丁目四番地所在の「石原万助地所部」なる事業所において、訴外万助の印鑑を預かり、その所有にかかる土地についての管理その他一切の事務を処理する権限が与えられていたことが認められ、該事実に前段で認定の事実ならびに前示契約の締結されたのは、訴外万助の生死が未だ明らかでない時期であり(この点は前示のとおり同人の戦死の公告が昭和二一年一二月二三日であったことから推認される)、しかも当時は終戦後間もない混乱期であったという公知の事実とを考えあわせると、訴外前田正において訴外為吉は単に前示のごとき権限を有するにすぎなかったにもかかわらず、同訴外人に本件土地の所有者たる訴外万助を代理してこれを他に賃貸する権限があったと信ずべき正当な理由を有したものとみるのが相当である。

ところで、右契約締結当時よりさき、すでに訴外石原万助は昭和二〇年五月一六日戦死し、そのため右万助の長男石原延郎が家督相続によって本件土地の所有権を承継取得していたことは前示のとおりであって、訴外万助は権利主体たる地位を失っていたのであるから、訴外為吉の前示表見代理を含む代理権もまた消滅していたわけである。しかし、訴外万助戦死の事実が右契約後の昭和二一年一二月二三日公告戸籍記載となったことも前示のとおりであるから、訴外前田正は右契約にあたり訴外為吉の代理権消滅に関しては善意であり、しかもその事実を知らなかったことに過失がなかったものというべきである。

以上認定の事実によれば、訴外前田正は民法一一〇条および同法一一二条に定める表見代理の法理により、昭和二一年八月一日頃訴外石原延郎所有の本件土地につき、賃料一ヵ月二〇円九五銭、普通建物所有の目的で、翌二日を始期とする期間の定めのない賃借権を取得したものと認定するのが相当である。

(3)  つぎに≪証拠省略≫を総合すると、訴外前田正は本件土地を賃借後の昭和二一年九月下旬その地上に木造トタン葺平家建店舗兼居宅一棟建坪一二坪を新築し、さらに同年一二月下旬建坪三坪の増築をしたこと、しかるに訴外正は翌二二年五月八日死亡したため、訴外前田純江、同前田和男の両名が建物の所有権を相続により取得するとともに、右賃借人たる地位を承継し、かつ昭和二二年六月二八日右建物をいったん亡前田正名義の所有権移転登記を経由したうえ、さらに右相続人らは同年一一月二七日相続を原因とする所有権移転登記を経由したこと、被告鑓溝は戦前戦後を通じ訴外正の営業を補佐してきた関係から、訴外亡正の営業を承継することになり、そのため昭和二二年一一月二七日右相続人両名より(当時右両名は未成年のため法定代理人親権者奥田竹を介して)右建物を買い受け、即日その旨の所有権移転登記を経由するとともに、本件土地についての賃借権の譲渡を受け、さらに昭和二五年九月頃に右建物を増築して現況のごとき本件家屋となし、同三二年一二月二一日その旨の増築変更登記を経由したことが認められる。なお、≪証拠省略≫を総合すると、前示のとおり、訴外前田純江、同前田和男より被告鑓溝に対する本件土地の賃借権の譲渡があってから間もない頃、右被告より賃貸人(地主)石原延郎の代理人たる地位を有するものと考えていた訴外鈴木為吉にその事実の申出をなし、承認方を求めたところ、同訴外人が右譲渡を承諾したこと 訴外為吉はその頃右地主石原延郎の法定代理人親権者石原よし子より本件土地の管理を委任され管理に必要な一切の代理権および賃借権の譲渡を承諾する権限を与えられ、右権限を行使するに要する石原延郎の印鑑を預託され、必要に応じてこれを押捺していたこと、したがって訴外正またはその相続人が本件地代として支払済以後の分を、被告鑓溝においてその名義で地主石原延郎の代理人たる訴外為吉に引き続き支払ってきたことが認められ、原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は、前示証拠に照らしこれを信用せず、他に右認定事実を左右する証拠はない。

(4)  してみれば、被告鑓溝は前示対抗力を有する本件土地の賃借権をもって、その後に右土地の所有権を取得した原告に対抗しうるものといわなければならない。なお、原告が抗弁に対する答弁の第二項において述べる事実が認められたとしても、被告鑓溝の右賃借権は対抗力を取得しているので、原告はその賃借権取得を右被告に主張することができないのはもとよりである。

また≪証拠省略≫を総合すると、被告会社は被告鑓溝を代表取締役とする資本金五〇万円という極めて小規模な会社であって、被告鑓溝より本件家屋を賃借しているものと認められる。そうだとすれば、被告鑓溝の本件土地についての賃借権が地主たる原告に対抗しうる限り、被告会社が本件建物を被告鑓溝より賃借使用し、そのため本件土地を占有することがあっても、これを原告に対抗しうるのは当然の事理であり、被告会社は原告に対する関係においても不法占有者たる地位を有するものではない。

(5)  以上に説示したところによって明らかなとおり、被告らの抗弁は理由がある。

三、よって原告の被告両名に対する本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡垣学)

<以下省略>

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